山科けいすけさんの4コマで「悪の秘密結社が 浜頓のテーマ(忘れたけど)を大音響でやって、 横浜在住の私も参加し、初めて生でオリジナル版を聞きました。会場には白老YHのOB・OGのグループも、そろいのTシャツで駆け付け、懐かしい青春の歌に盛り上がっていました。 この歌は竹岡範男氏が作曲、八州秀章氏(あざみの歌やさくら貝の歌の作曲で有名)によりつくられた部歌です。 この歌は竹岡範男氏が作曲、八 近くの観光案内、所有の自転車・カヌーの応募者募ったりした後に、 どういう雰囲気・テンションなのかわかりませんが 生まれ育ちは都内ですが。, 私は東京生まれで23年在住。その後21年間、転勤族で北海道から九州まで、YHの旅のように全国を転々。ようやく1995年から横浜に定住?しています。 ヘルパー3人ががギター・タンバリンなどのパーカスもって、 (一番の好例は北海道・礼文島の桃岩荘→TVでもよく取り上げられる), YHで歌われる歌は往年のフォークソングが殆どで、一部どこかのYHで生まれて各地に広がった名曲などもあります。, 私は一応北海道~沖縄までのYHを延べ300泊以上泊まっていますが、北海道と信州に偏っています。. 彼は基本的な歌唱力は抜群ですのできっとすばらしい歌声を今も披露してくれることでしょう。, 山名敏晴さんの「旅の終り」 あっという間に北海道から沖縄まで伝わる感じです。, でも今はYH会員人口自体が激減していますし、泊まる人も昔のようなホステラーはほとんどいないでしょうから今のYHは「口コミで情報が伝わる」というのはあまりないでしょう。, 青木清さんは1977年8月に美幌YHでお会いしましたが、私より年上とはいえ、とても素敵なお兄さんで彼の生歌声は今でも鮮明に覚えています。, 青木 清さんは、その後シャンソンの世界に転身し、現在は「青木裕史(ひろし)」の芸名で活躍しています。, 青木さんは今はシャンソンなのですか。 色々と思う事が多くなる年齢、このサイトで「懐かしい街と物」をお楽しみ頂ければ幸いでございます。, . YHが大きく下火になってしまい、今後も持ち返すとは思えませんが、これらの曲はどこかで少しでも歌い続けてもらいたいと思います。, 名古屋大学の学生だった舟橋俊久さんが北海道旅行し、その思い出を「旅の終り」という曲にまとめたのが昭和45年(1970)のことでした。つまり「旅の終り」は2020年の今年、生まれて50年を迎えたことになります。 この曲は昭和45年に名大生だった舟橋俊久さんが作詞作曲、最初にレコードにしたのが3年後の48年、舟橋さんの友人の山名敏晴さんであることが現在でははっきりしています。 この「時計台~」も当初は作者不詳でしたが、札幌在住の浅沼 修さんが作った曲であることが判明し、タイトルも正しくは「時計台のある街」でした。これもユースならではの口伝えによる変化でしょうか。, 名前は言いませんが大物歌手も起用されていましたね。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); Copyright (C) 2020 懐古趣味で何が悪い! All Rights Reserved. 北海道・利尻島での送迎でよく歌われる歌です。 ・・・塩狩YHは主にゲームでしたはじめっち, むかし、「小平町望洋台YH」ってとこがあって、 こんにちは。コメントありがとうございます。 けっこう楽しかったですよ。あの時の歌唱集、何処にいっちまったもんだか… 「ユースホステルの歌」は題名だけ知っていますが聞いた記憶が全くありません。, 若いときはバカ騒ぎミーティングも楽しかったですが、行く先々で、となると流石に疲れます。 元々は素人が弾き語りで作った歌ですがレコード(CD以前に)化されて多くの共感を得ました。, YouTubeなどにもあがっているようなのでご興味のある方は検索してみてください。 途中や最後の方は歌詞を変えてしまったり、「これはいいだろ!」みたいな押し付け感が強くて1度聞いただけで虫唾が走りました。, このような手法は今でもありますが、2匹目のドジョウは皆失敗していますね。 あなたが旅が好きで(特に一人旅)、観光以上のものを求めている方であればこの曲を聴けば必ず心に響く何かがあると思います。, 出だしは「夢のような、旅だった、遠い北の国の~」、最後は「こんなつらい旅なんかもう嫌だ、旅を終わろう、汽車に乗ろう」です。, ●ねむるオンネトー 特に気持ちが落ち込んだ時は私を勇気付けてくれる良き親友であります。, 自分が入会したのは1986年2月なので、そのころは歌い踊るミーティングはほぼなかったです。 そんな中よく歌われた、心に残った歌をいくつかご紹介いたしましょう。 根田成一さんの名曲です。 北海道の阿寒湖から南西方向の山中にある美しい佇まいの湖・オンネトーを歌った歌です。 むしろ同じLP「いっしょに歌って第3集」に収録されていた「時計台の鐘の鳴る街」のほうが、ヒットの可能性があったかもしれません。 あっという間に全国のYHに広がったと言われています。 ところで山名敏晴さんが「旅の終り」を北海道で伝えた若者はベーシストのT・S君。彼が昭和46年に白老YHに出入りしていたことが確認できれば、伝播のルートが確定します。, 旅の終り、はいろいろあったようですが、それだけ多くの人の目に耳に触れた結果育てられた名曲なのでしょう。, このような曲はおおっぴらになってほしくないです。 どこの誰が作ったのかはわかりません。でも利尻島の「オシドマリYH」に泊まった時に「覚えろ!覚えないと帰さない!」みたいな感じで覚えさせられました。, 今時「覚えるまで帰さない」なんて行ったら「パワハラ」、「虐待」、「人権侵害」と散々なことになりますが、昔のYHではこういう言い方も今で言う「お笑い」だったのです。, 特に連泊者は船で稚内に戻る人のお見送り、稚内からやってくる人のお迎えが日課だったのでこの歌を覚えることが必要でした。 でも懲りないんですね。, YHで歌われた歌は、たとえば元がフォークの大御所とかでない限り一般には絶対にヒットしないと思います。, YHやYHのミーティングを知らない人からすれば、YHで歌われた歌は所詮、「大昔のフォークソング」や「童謡の延長線上の曲」にしか感じないと思います。, 1年ぶりです。「旅の終り」の作者「舟橋俊久」さんを検索したら、ご本人のFBを発見しました。舟橋さんは名古屋大学を卒業したあと明電舎に入社し、電気工学の分野で活躍されました。その後名大を経て2018年に沖縄に移住し、琉球大学で教鞭をとっていらっしゃるようです。ある意味、舟橋さんの「旅の終り」なのかもしれません。, そうでしたね、舟橋俊久さんですね。 コメントありがとうございます。 でもそれで良いし、それが良いのだと思います。, ただYHに泊まらない人にも心に響くはずなのでその辺は取り上げられても良いかな?と。, こんにちは。私の名前は「 ノンダクレー」と申します。 「ユースホステルの歌」ってやつで、後にも先にも 世界最大のホステルネットワーク「ユースホステル」世界をユースホステルで旅しよう!ユースホステルは70以上の国と地域にある3500ヶ所の施設が皆様のご利用をお待ちしています。 日本の潜伏地で公安に絶対バレないところが、 コメントありがとうございます。 宿泊したYHで唯一本格的だったのは、88年の「浜頓別」で、 しかし礼文島の桃岩荘の今年の歌になったのは発売以前の47年で、当時は作者不明の曲でした。でも舟橋さんも山名さんも、ユースで歌ったことは一度もありません。では誰がユースに伝えたのか? YHにはお菓子と飲み物をもって談話室に行くのだ。

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